「ルサンチマンからの脱出・・・それは・・・。」(2006.7.22)

滝本竜彦『超人計画』が文庫化されたので、購入して、読んでみました。
今作は、滝本先生の初エッセイです。前作『NHKにようこそ!』出版後の自らの精神状態、経済状況などについて、赤裸々に語っている・・・のかどうか分からない、読者を振り回すエッセイでした。
このエッセイは、主人公のことを『彼』と呼んだり、『私』と呼んだりと、次々呼び方が変わるので、本当にエッセイなのか?作り話ではないのだろうか?と読み進めていくと疑いたくなります。引きこもり経験のある作者を作中の『新人作家』に重ねても良いでしょうし、いや、この新人作家はあくまでもフィクション上のものだ、と思っても良いでしょう。読む人によって受け止め方が異なる、押しつけがましくない良いエッセイだと思いました。
この作品の魅力の一つに、主人公の『脳内彼女』、レイちゃんの存在が挙げられます。話は、脳内彼女との会話形式で進んで行くのですが、あくまでもそれは『彼』の哀しい一人芝居なのです。自分に都合の良いことしか言わない脳内彼女とやりとりの中には、ひきこもり青年の微妙な心理が良く反映されています。現実から目を背け生きているつもりでも、最終的に生きているのは辛い現実上であり、そこから逃げ出すには、『死』しかない。しかし、死ぬ勇気を持ち合わせてなどいない。なぜなら、『死』も現実であるから。現実からは逃げ出したいのに、その逃げ出す唯一の手段が最も辛い『現実』である・・・。とても皮肉な話です。
正常人が、ひきこもりの精神状態を完全に理解できるかという問があったとします。答えは、おそらく否。しかし、それを理由にして、ひきこもり作家のエッセイを『病んでいる』『参考にならない』『気持ち悪い』と切り捨ててしまうのは、あまりにも利己的ではないでしょうか。世の中には様々な人間が存在し、もちろんひきこもりも『人間』です。ひきこもりにも文を書く権利はあり、我々にはそれを読む権利もあります。
ですが、ひきこもりが実社会で認められるかという問になれば、話は別です。ひきこもりには、別にわざわざなる必要はありませんし、またなってもいけません。それは、只の『逃げ』だからです。存在を消すことにより自分の存在を社会に示すという手法は、卑怯です。世の中で、認められずに苦しみながらも一生懸命生きている人たちに失礼です。自分だけが悲劇の主人公のように感じているだけなのです。ひきこもりは、擁護すべき存在でも何でもないのです。
ここまでで何が言いたいのかと言いますと、別にこの作品はひきこもり心情を理解するためのツールではないと言うことです。ひきこもりを嘲笑するためのものでもないと言うことです。滝本先生の病的に繊細な神経は、確かに常軌を逸してはいますが、その中に全く我々の感じる焦燥感や絶望感が含まれないかと言えば、そうとは言い切れないでしょう。若者から高齢者まで、人生で一度は経験するであろう精神的危機の、大誇張版参考書とでも言えば、聞こえが良く、皆読む気になってくれると思います。
大量の哲学書からの引用を含み、自らの苦悩と半発狂を恥じながらも堂々と衆目に晒した、新感覚自己陶酔&自己嫌悪系エッセイ、『超人計画』。大哲学家ニーチェでさえも、最期は発狂だった!圧倒的な自己正当化と自己破壊の告白の中に、身を預けてみませんか?

inserted by FC2 system