「オタク」って衝動だろうか。私はこの問いに違うと答えたい。「オタク」とは、惰性である。どうしようもない惰性であり、中毒である。確かに、誰だってオタクになる瞬間は衝動であろうが、その衝動は所謂「オタク」という呼称を得た時点で、消滅する。「オタク」というただのキャラに成り下がるのである。
 二十一世紀を生きる若者にとって重要なのは、「キャラ作り」である。オタク化も、その一環として行われている。いくら「○○は俺の嫁」「○○たんかわいいよハァハァ」と叫んだとしても、その台詞は心から衝動的に絞り出された叫びではない。二次元がなければ生きられない、と思っていたとしても、実際に私たちが生きているのは三次元空間であるから、オタクはどこかでこの世界に妥協していると言うことになる。心から、自分が生きるべき世界は二次元と考えていたとしたら、三次元に絶望して自殺の道をとっくに選択しているだろうが、オタクが集団自殺したという話はあまり聞かない。
 つまり、現在「オタク」と呼ばれている人々は、「オタク」という表面的なヴェールをまとっているのである。言い換えれば、オタクであるフリをしているということだ。今「オタク」だと呼ばれている人も、周囲の人間を「オタク」と呼んで蔑んでいる人も、オタクが何なのか分からない。私だって分からない。自分がオタクだと認識するやいなや、その人間は大多数がオタク的だと感じる行動や言動を周囲と協調しながら獲得し、自ら自分を「オタク」に仕立て上げている。彼らにとって「オタク」はファッション感覚の惰性なのである。すなわち「オタク」というのは只の観念であって、実際に存在するのかどうかは定かでないのだ。だから、「オタク」という単語を明確なグループだと思いこんで、読者や視聴者を引きつけるために使うメディアの手法は、明らかに間違っているし、そのバッシングに過剰反応する人々も少し間違っている。今この世界に存在しているこの瞬間すでに、あらゆる人間は社交性を帯びていると言える(社会性ではない。注意)。何度も繰り返すようだが、二次元キャラクターへの愛情を、純粋的に心が発したサインだと思いこんでいたら、二次元という「夢」の中へ旅立つしかなくなる。それは社交性の死、すなわち精神の死を意味する。絶望すれば、人間は死ぬしかないのだから、もうこの段階まで到達してしまえばおしまいである。
 同じ事は、「ロリコン」にも言える。80年代以降、日本ではキャラクターの外見の低年齢化が急速に進行し、今となっては「ロリコン」という言葉が一般的になってしまった。ロリコンとは本来性的異常者を指し示す用語であったのだが、現在はアニメやゲームに「ロリキャラ」と言われる低年齢の成長過程にあるキャラクターが多く登場するようになって、そういった仮想上の少女達を愛好する人間を一般に「ロリコン」と定義するようになった。
 しかしながら、やはり用語的には「ロリコン」とは性的倒錯者を指し示している。実際、許すことなど決して出来ないが、多くの少女達が毎年命を「ロリコン」に奪われ続けている。よく「俺は性犯罪者とは違う。ただ少女が好きなだけだ」という声を耳にするが、私はそれも同様にプリテンディング(ふり)であると思う。心から少女しか愛せないのなら、もうとっくにその衝動が体を支配し、周囲の少女を強姦あるいは殺傷しているに違いない。社会の中で生きつつロリコンを主張するというのは、「キャラ作り」以外の何者でもない。
 したがって、自分を「オタク」「ロリコン」と認識している人々は、メディアがそういった人種を取り上げてコケにする事に対して反論する必要など全くない。なぜなら、この世界に存在している時点で社交的存在だから。社会の中で生きている時点で、メディアの言う「異常者」ではないのだから。「オタク」や「ロリコン」という言葉が一般的に成りすぎたせいで、それらが同趣向の人間を括れるコミュニティ的存在であると勘違いしがちであるが、本当は、「オタク」も「ロリコン」も只の観念的存在で、実在などしないのである。
 そう思って、自信を持って毎日生きていくのが大切であると思う。

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