ある友人が辛い経験をしたようなので、それに触発されて自分の考えを書いてみようと思います。彼は、mixiにおいて、最近気がついたらマイミクが一人減っていたようで、ここまでネット上の人間関係とは一瞬にして断ちきれるものか、と嘆いておられました。簡単に繋がれるということは、簡単に切れるということだったのだ、とも述べていらっしゃいました。
 ネットとはあらゆる人と接触できるように身体を拡張した(McLuhanの説を利用していますが、軽々しく彼の説をインターネットに適用するのはまずいかも知れません。というのも、彼が生きた時代インターネットは存在しておらず、彼はテレビやラジオといった新興のものを念頭に置いて発言しているからです。しかしながら、ここで私はコンピュータへの記録が脳を拡張し、インターネットが人間の行動や交流を拡張していくという立場に立ちたいと思います。そして、行動や交流は身体抜きに行うことはできません)ものであると私は思います。ネットを使えば、確かに見ず知らずの人とコミュニケーションを取ることができます。お互いが実社会でどんな役割を果たしている人間なのかを了解しなくとも、共通の話題などを選んで交流することができるのです。しかしながら、そうであるからと言ってネット上で生まれた関係は簡単に切ることができると考えるのは間違いです。ネット上の関係を簡単に断ち切る人間は大きく二種類に分けることができると私は考えます。一つ目は、ネット社会を実社会よりも低次のものと見なしている人であり、二つ目は、ネット社会・実社会を問わず人間関係を破壊しながら生きている人です。後者は議論の対象としても仕様がありませんから、考える際に除外しても構わないでしょう。問題なのは、前者です。
 実社会における交流で了解しなければならない多くの要素、特に了解するのが面倒な要素をネットは削ぎ落としてくれると考えてはいけません。ネットに書き込むという一連の作業の中に一種のフィルターがあって、文字列や情報がそこを通過する際に(つまり送信の際に)、発信元の人間の身体情報や固有性は失われるのだという意識をもってはいけないのです。私は、ネット上で見ず知らずの方と交流する際、ネットの向こう側に実際に人間が生きているのだと考えて、その方の送信した文字列や情報に真剣に向き合って、本気でコメントを返したり文章をブログに書いたりしています。ネット社会は実社会とはコミュニケーションの点においては完全に違うのだという主張には、未だに納得しかねます。ここで注意して欲しいのは、私は継続的な相互交流の話をしているのであって、単に知らない人のブログを読むだけとか、掲示板に書き込むことなく単にログを追いかけるだけといった一方向的なその場限りの文字列・情報の移動について言っているわけではないということです。冒頭で述べた友人も、マイミクを一方的に解除された方とはある一定の期間、継続的に交流があったわけですから、問題にしなければならないのは。その場限りでない継続的なネット上の関係なのです。匿名の巨大掲示板のように、書き込んだとしてもその時の関係はあっという間に無数のログに埋め尽くされて、その場限りに終わってしまうものではなく、ログがある一定の期間確実に残る「草の根の」掲示板やブログのことを、私は交流の可能性を秘めたものとして認識しています。
 私は2006年の春からブログをやってきました。そして徐々にリンクサイトも増えてきたわけですが、ここで改めて多数のリンクサイト管理人の方々とどのようにして交流が始まったか考えてみようと思います。私のブログは始めたばかりの零細サイトでしたから(勿論今もそうですが)、私の方から彼らに対して相互リンクの申請を行う必要がありました。しかし、全く交流のない方に対し突如相互リンク申請を行うのは失礼に当たります。私は、ネット上で同じような趣味をもたれている方々の個人サイトの掲示板に、数回同じハンドルで書き込み、彼らのレスポンスを受けるということをまず行いました。その場限りのサイト来訪者ではなく、継続的な交流を欲しているということを示すためには、継続的に彼らとコンタクトを取らなければならないからです。今であれば、このように冷静に当時の必死な状況を分析することもできますが、当時はおそらく「もっと、この同じ趣味を持つ方々と話したい、繋がりたい」という情動が私を動かしていたと思います。そのような単純な情動が、上のような段階的交流深化をもたらしたのでしょう。ネットに開かれたブログやサイトでの交流は、現在まで絶えることはありません。今年の五月に開催された「Super Comic City 18」では、ある管理人の方ととうとう実際にお会いしてお話しすることができたのですが、その時の感動は今でも覚えています。私はあの場で自分のやり方が間違っていなかったと確信を持つことができました。ネット社会と実社会は、確かに連結していたのです。ネット上での本気の交流が、実社会にも引き継がれる時点で、真剣な気持ちさえあれば、ネット社会と実社会は同じような人間関係を創出することができると示されたと思います。この経験から、もしある管理人の方と一生実社会ではお会いしないとしても、今まで続けてきたような本気の、真摯な交流を続ける意義はあると言えます。というのは、この真剣な気持ちが、確かにネット社会と実社会の交流における区別・断絶をなくす契機になり得るからです。
 しかし、最近mixiを始めて思うのは、mixiはブログやサイトとは全く違う交流の場であると言うことです。他の方はどうか分かりませんが、私には見ず知らずの人と長期的交流をスタートさせるのはブログやサイトであって、mixiではありません。mixiは、実社会(あるいは、ネット上の長期的関係)ですでに交流している人同士が改めて繋がるという場だと思います。まず運営側から「マイミクシィ」なるものが用意されていることが不思議です。人間同士が繋がりを持つためのコマンドがすでに与えられているのです。ブログやサイトではこうはいきません。むしろ、どのような形で繋がるかは自分で決められるわけです。これこそが、ネット上の交流の面白さであると私は考えますが、よく考えれば相手にどう接触を図ろうか悩むという点では、この交流は実社会における交流と同じということになります。つまり、ネット社会と実社会は全くの異質なものであるとは言えず、交流においては共通性を持つものであると言えましょう。ただ、ここでいうネット社会に、mixiは含まれないのではないかと私は感じつつあるわけです。ですから、私はmixiから新たな人間関係を始めようとは思いません。私は新たなネット上の人間関係が生まれる場として、ブログやサイトでの交流も続けていきたいと思います。

〔参考〕
過去に書いた文章です。
「ネット社会と実社会」(2007.6.5)
http://rasiel9713.web.fc2.com/netsociety.html

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