「生き様は変えられない」(2009.3.15)

 主人公・高坂京介(こうさか・きょうすけ)の妹、桐乃(きりの)は茶髪にピアスの「イケてる」女子中学生である。桐乃は成績優秀で、その上読者モデルに選ばれるほど、ファッション界においては華々しい活躍を続けている。しかしある日、京介が桐乃の隠していたアニメDVDを発見してしまう。さあ大変。京介を毛嫌いしてきた桐乃だったが、自分の秘密を知られたことをきっかけに、京介に徐々に接近していく。さらに、外部のオタクコミュニティーに参加したりして、今まで「自分の中の隠しておかなければならない部分」だった領域で交友の幅を広げていくのだった。ところが、桐乃の趣味が堅物(警察官)の父に露呈したことで状況が一転、桐乃はオタク趣味を捨てるよう迫られることになるのだ。
 表紙とタイトルからして、第一印象は「妹萌え」ものであったが、読み進めていくうちにそのようなぬるい内容予想が完全に外れたことを悟った。まず、重要なのは桐乃がオタクからは遠いと考えられるモデルであり、モデル友達に対しては自分の趣味を隠して生活しているという点だ。モデルをやっている時の桐乃は「モデル」の桐乃であり、「オタク」の桐乃ではない。桐乃はオタクが一般的に忌避される存在であることに自覚的だ。だからこそ、彼女は自らの趣味が露呈することを恐れる。自分が嘲笑・迫害の対象となることを恐れるのだ。だが、彼女はオタクであることを止められない。というのも、「オタク」の彼女は彼女にとって「本当の自分」であるからだ。つまり、それは彼女の生き様なのである。世間でどんなにバカにされようが、好きなものは好きなのであって、好きという自分の気持ちに嘘はつけないわけだ。
桐乃は「オタク」の自分と「モデル」の自分を持っているが、その二つを併せ持って初めて「本当の自分」になると感じている。彼女はこう言う。

 「あたしは、やめない。好きなのを、やめない。(中略)両方があたしなんだって、どっちか一つがなくなっちゃったら・・・・・・やめちゃったら、あたしがあたしじゃなくなるの。(中略)だから、好きでいることだけは、絶対、やめない」

 まさに生き様だ。彼女は伊達や酔狂でオタクやモデルをやっているわけではない。彼女の心が「楽しい」「やりたい」と訴えることに正直に、愚直なまでに従って彼女は生きている。モデルの身体にオタクの心が宿っているというのが、性同一性障害的な苦しみのもとである。桐乃はモデル友達はいるがオタク友達はいない。彼女の中でモデルとオタクが両立していても、彼女の外部のモデル友達とオタク友達は両立しないのだ。したがって、京介がオタクコミュニティーへの参加を提案すると、桐乃は気持ちが高揚するのを抑えられない。二パターンの友達が両立できないなら、友達を作る場所自体を分けてしまえばよいのだから。彼女は「オタク」の自分を受容してくれる集団への所属に喜びを見いだすのだ。
 桐乃の中でオタクとモデルが等価値である以上、一般的にオタクがモデルよりも低く見られることに彼女は我慢ならない。彼女の父が、アニメやゲームは人格を破壊するいかがわしいもので、青少年の健全な発達を阻害するものだ、と警察官らしいステレオタイプ見解を述べると、口で父にかなわないという思いも相まって、彼女は泣きながらこう京介にこぼす。

 「くだらんって言われたのっ!?あたしが好きなアニメも!ゲームも!今日行ってきたオフ会も!全部全部全部全部っ!?(中略)あたし、なにも言い返せなくて・・・・・・(中略)くやしいなあ・・・・・・(中略)あたしさ、・・・・・・おかしいかな?ああいうの・・・・・・好きでいちゃ、悪いのかな?」

 この心から発せられた問いは、大変重い問題を含んでいる。歴史的に差別・迫害・虐殺の対象となってきた少数派(あるいは、時には多数派)は、常にこのような鬱屈した気持ちを抱えていたはずである。私は、彼らの狂おしいまでに自らの心情に素直な様子に安易に同情することも、それを安易に非難することも出来ない。ただ、その前に呆然と立ちつくすばかりだ。人間は個性を持って生まれてくるはずだという一般的な考えがあるように感じられるかもしれないが、人間は一人称として「わたし」という一般的に通用する形式を用いるようになった時点で「自分らしさ」を既に喪失していると言える。人間は無数の個性を捨てながら成長し、社会人になる。では、桐乃のオタク趣味は捨てなければならない、社会にとって有害な「恣意的個性」と断定できるのだろうか。是非考えて頂きたい。オタク文化が日本中へ浸透し、世界へも伝播を続けている現在、オタクへの反感も同時に高まっている。受容されているようでいて、未だに異端に属する「オタク」の姿を、鋭い観察眼で直視した本作は、単なる娯楽小説の枠を越境している。他の領域を巻き込むことなく、独自の社会現象となったオタク文化に対して、楽観以外の立場を取った小説はなかなか新鮮であった。
 「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」は、楽観的・中立的なサブカルチャー論でも、辛辣な社会学でもなく、オタク当事者をヒロインに置き、主人公を理解のある非オタクに設定することで、オタクの姿を主人公の主観的な視線を通しながら、ほぼ客観的に描いた小説である。
 

短絡的なオタク小説ではない。根源的な排除の形と、それを恐れる人間の姿が、ここにある。

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