メーリングリストは便利なシステムである。もともと連絡の効率化を目的として発展したこのシステムは、高校や大学のクラス・部活動などで現在も頻繁に利用されている。リストに登録さえすれば、あとはリスト宛にメールを送信するだけで、リストに含まれる全ての人間に隈無く同じメールを届けることができるという気軽さと利便性――しかしそこには、重大な陥穽が潜んでいるのである。今回は、メーリングリストの利用について少々考えを整理しようと思う。
 まず行為の面から考えていくと、メーリングリストを利用する人間は、あくまでもリストに対してメールを送っているのであり、その営みに対人コミュニケーションが介在する余地はないと言える。個人の所有する携帯宛にメールを送信しようとする際は、多少なりとも、自分がメールを送信することによって宛先のメールアドレスを持つ携帯電話にメールが届き、そしてその携帯電話の所有者である個人がメールを確認するだろうという予測が成立しているが、メーリングリストを利用する際には、当然この「他者の認識」は薄れる。それは、当然ながら他者への配慮というものも奪い去る危険性がある。ここで注意しなければならないのは、メーリングリストは特定のリストに登録してある人間にしか利用できず、かつ登録してある人間を一人一人分けて認識することができるということである。つまり、メーリングリストというシステムは完全に匿名性の中へ登録者を埋没・隠蔽することのできない閉鎖的なものである。従って、他者の認識を欠いたメール――すなわち誰に向けて発信しているのかが明確でないメール――が登録者全員に同じ文面を纏って届くということになる。しかし、同じ文面だからといって登録者全員が同じ解釈をするとは限らない、いや、登録者はそれぞれ異なったコンテクストに従って文面の解釈を行う。そのコンテクストとは、大本の送信者の個人的印象でもあるだろうし、文面自体の個人的印象でもあるだろう。送信者と文面にまつわる様々な背景イメージが、解釈の際には総動員されることになるのである。というのも、既に述べたとおり、リストに送ったメールは他者の認識を欠いているから、受信者=登録者は、自らそのメールに意味付けを行う必要があるからである。従ってメーリングリストの濫用は、登録者各人の各人に対する印象を浮き彫りにし、登録者全体を含む集団の雰囲気を悪化させることになる。文面を笑ってすませる人間がいる一方で、文面に憤りを感じる人間もいる――そんな状況が続けば、建設的な人間関係は徐々に廃れて行くであろう。
 次に性質の面から考えていくと、メーリングリストは「否応なしに見せつけられる」システムであるということが分かる。掲示板やブログ、mixiなどは、基本的に自ら選択して見ようと思い、その思いを行動に移さなければ見ることができないものであるが、メーリングリストは、登録者の誰かがリストにメールを送りさえすれば、登録者全員に一旦メールを確認する作業を強いることができるのである。誰か一人が間違ってリストへメールを返信してしまうだけで、登録者全員がメールの確認作業に没頭する羽目になる。勿論、携帯電話を確認してみるまでは、届いたメールがメーリングリストによるものかどうかなど分からないから、メールを確認する作業を回避することも不毛な努力に終わるだろう。従って、メーリングリストを連絡の次元を逸脱したお節介のために利用すると、悪意があろうがなかろうが、送信者は自分が集団内で優越的な立場――極端に言えばベビーシッターのような立場――に立っていると思っているということを公然と晒す結果を招くのである。このような利用は、登録者が求めてもいない「親切」を一方的に押し売りすることに他ならず、メーリングリスト本来の目的である連絡の簡便化からはかけ離れたものだ。登録者全員、あるいはその多くが共通で必要とする客観的な情報を素早く回すためのメーリングリストを、自分の集団内での立場を誇示するために利用するのは間違いである。というのも、メーリングリストは登録者間の相互認識に基づくシステムであるが故に(完全なる匿名性を獲得していないが故に)、実際の人間関係に強い影響――主に悪影響――を及ぼすことが容易であるからだ。
 メーリングリストは確かに便利なシステムだ。ただ、リストに登録しているのは生身の人間であり、リストという非人間へのメールは必ず実際の人間のもとへ届くのだという当たり前のことを忘れてはならない。自分にとって「最も近い」画面とコンタクトをとるモバイル・コミュニケーションは、既に生身の人間同士の直接的接触というコミュニケーションの原義を拡張している。個人へのリニアなメール送信というモバイル・コミュニケーションにおいては、人間同士の間にメッセージを送受信する回路が介在するという一次的媒介が既に起こっているのである。人間とモバイル・メディアという第一境界面の存在は、モバイル・コミュニケーションの前提となっている。そこに、メーリングリストの利用が加わると、モバイル・コミュニケーションはもう一つ境界面を増やすことになる。すなわち、送信者のメッセージを乗せた回路はまずメーリングリストに入り、その上でリストに登録された人々の下へ回路を通ってメッセージが届くという二次的媒介が起こるのである。人間同士のコミュニケーションにモバイル・メディアが介在し、モバイル・メディア間のメッセージのやりとりにメーリングリストが介在する(モバイル・メディアとメーリングリストという第二境界面が存在する)以上、生身の人間とコミュニケーションを図っているという意識や感覚はますます薄れることになるだろう。そのような状態で、メーリングリストを目先の利便性に惹かれて軽率に利用することを継続すれば、いつか必ず集団内の人間関係に不和をもたらすだろう。メーリングリストは「人」ではなく「道具」や「技術」の方に分類されるものだ。道具・技術は、人間によって制御されなければならない。従って、メーリングリストを利用する前には、果たしてそのメールの内容が登録者全体にまんべんなく通用するものであるかどうかを検討することが肝要である。面倒であろうとも、個人に対して直接メールをすることを繰り返した方がいい場合もあるのである。
 メーリングリストは、利用後必ず送信者のもとへも同じ文面を返してよこす。それは、メーリングリストを取り巻く状況の中で唯一とも言える救いであるし、メーリングリストの陥穽を気づかせるヒントでもある。自分が送信したメールを改めて「他者」として開いたとき、自分はどんな気分になるか考えて欲しい。その想像力が、メーリングリストを豊かなシステムへと導くのだと私は確信している。メーリングリストは、送信者自身にもBlind Carbon Copyを適用するような相互不可視のメール送信システムであることを心に留めない限り、「効率的な」現代生活など送れないだろう。というのも、モバイル・コミュニケーションにおける第二境界面がもたらす人間関係の不和や破綻は、確実に集団の効率性を低下させ、登録者の人間らしさを削り取っていくだろうから。

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